生きる道は完璧に決まっていて、故に完全に自由だ
バガボンド29巻からの引用です
今から13年前、学生時代に出版されたマンガですが、今になって読み返してその通りだなぁと感じます
学生の頃は「自分の将来は自分の力で勝ち取り、自分で未来を切り開いていく!」のだと考えていました
努力・研鑽すれば自分に出来ないことなんてない
他人のことを考えている暇なんかない
世の為、人の為に何かをした気になっている奴なんて負け組だ
そんな気持ちが若かりし頃の自分にはあったと思いますし、
確かにその頃の我執にとらわれた活力で色々な知識や技術を獲得できたことも事実です
力なくして世の為、人の為になることは出来ないとも思う
ただ、自分が起こした『何か』よりも人との出会いや世の中の流れ、他人から受けた影響で今の自分、周辺の環境は決まっているのも事実
『本当の俺はこんなもんじゃない!』なんて考えた時期もありましたが、今思うと現状の落ち着くところまで来たのは、全て最初から決まっていて、足掻いていた頃の自分の「俺が全てを変えているんだ」という意識は間違っていた
というよりもそういう意識を持つことすら、予定調和だったのではないだろうか?とすら思えることがあるのです
自分にとらわれて視野が狭い時期があることすら決まっていた
今になって思い返して、そういう時期があったからこそ手に入れるものがあった
そして、これから私は何をしていくのだろう?
それすらも既に決まっていて、これから何をしようが行きつくところは決まっている
故に、今というその瞬間に集中して、安心の元、楽しんで良いのだと思える
これを天衣無縫というのではないかと思うのです
人生は必要なものをツギハギにつなぎ合わせていく作業ではなく、縫い目のない衣をただ楽しむ、その衣の形も決まっているですが、私にその衣の形が全て見えていないだけで好きに想像し、好きに楽しんで良いのです
なんて、哲学的なことを感じる日も既に決まっていて、自由に筆を走らせてみた次第です
再開と近況
約3年ぶりにこのブログを更新していることに驚きを隠せないわけですが。。。
なんとなく、再度 筆をとりました
実はメンタル系の病を患いまして、ようやく落ち着いてきたかと思ったら引っ越しだー結婚だーと色々私生活が騒がしくなっています(;・∀・)
すっかりメンタルの方はなりを潜めているので、安心して仕事やプライベート等、諸々に打ち込んでいます
会社から『研究所を作って良いよ』という話が出て、意味が分からなかったのですが、私が所長を務める研究所を設立することになりました(この話は追々)
今はその研究所で日々忙しく実験したり営業に出たりしています
ぼちぼち気が向いたときに書きたいことを書いていこうと思いますので、よろしくお願いします
ボクはカラっぽだったんだ
蒸し暑い夜、食事を終えてやることもなかったので本でも買いに行こうと古本屋へ向かった。
夜なのに茹だる暑さ。空気の粘度が高すぎる。
店についた
\いらっしゃいませこんばんわー/
\いらっしゃいませこんばんわー/
\いらっしゃいませこんばんわー/
・・・・・・・・・・・・・
『ブックオフか!』
ブックオフだった
ついつい、サンドイッ〇マンのネタを見た後ということもあり心の中でツッコんでしまう。
目的なく本を選ぶとき、出来る限り無作為に、あまり自分の好みを反映しないように選ぼうと最初は思う。結局は失敗するのだけど、新しい境地に至るためにそんな心がけをしています。
なんとなくこの感覚は文章を書くときにも当てはまるのだけど、結局はサンドイッ〇マンのネタを入れて多少の笑い要素を入れようと試みるあたり、やはり失敗するのが常のようです。
アジカンを聞きながら、何を読んでみようかとウロついて、星新一のショートでも読もうかと100円コーナーに行くも売り切れ 名前の短冊だけが売れ残っていた
結局、村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』と江國香織の『ホテルカクタス』を手に取った。別に予備知識があっての買い物でなく、タイトル買いというやつだった。
家に帰って『神の子ども~』を読み始めた。
冒頭で衝撃というか、何とも言えない気づきのようなことがあったその一文を少し変えて書きたい。
問題はあなたの中に私に与えるべきものが何ひとつないことです
僕の社会的価値がZEROという意味合いで衝撃を受けたのではないのです。
会社の中ではそこそこ働き者ですし、役職もあります。
でも、そういうことではないのです。
経済活動以外の私という中に他人に与えられる何かがないことに気づかされたのです。
現代社会での多くの人が抱える空虚感の意味を少し理解したような気がします。
ある状況下でのみ私というものに意味があって、その状況で無くなれば私も無価値になってしまう。与えられるものはなくなってしまう。
なんとなく、漠然とした空虚感。絶対の価値がないことへの不安とでも申しましょうか。
ただ、カラっぽと気づいたときに空虚感や不安感だけが訪れたのではありません。これもまた言いようがないのですが、私は自由だという開放感のような、晴れやかな気持ちが去来したのです。
会社での仕事は充実しています、社会的な義務も果たして順調にいっています。
でも何かが充たされていないような、どこかで致命的な失敗をしているような。
気づかないエラーが出続けているのが分かるのだけど、修正のしようがないようなそんな感覚が拭えたのです。
ボクは何者かになったようで実はカラっぽだったのです。
『私とはこういう人間です』という現実に縛られている錯覚から抜け出せた気がします
ガワはおっさんですが、中身がカラっぽ、まだまだ人生道半ば、何か皆さんにお伝えできるような、役に立つような、感動させられるような、そんな何かを自分の中身として蓄えていければ良いなと思った次第です
感覚的な内容ですいませんが、今日の夜の出来事を急に書き留めたくなった次第です
またそのうち更新します
働かないふたりの12連休
タイトルは吉田覚の「働かないふたり」と「12連休」というマンガのタイトルをつなげただけ。
働いてないのに12連休という矛盾。
働かないふたりは連載物、12連休は短編集、2つとも面白かった。
働かないふたりはクラゲバンチというwebコミックでも一部(結構大部分)見れるけど、単行本も買ってしまうほど面白い。webで読んだうえで単行本の発売を楽しみにしてしまう数少ない作品 (働かないふたり | くらげバンチ)。
発売されると雪が降った後に感じるワクワク感のようなものがこみ上げます
作品に共通しているのは、
作者の性癖が良く分かるというところ。
多分、巨女・巨乳好きでそんなキャラクターが多い。
そういったキャラクターの偏り?を除いても面白い。
取りあえず、登場人物の癖が強い。
でもなんだかその癖の強さは少し優しい感じのする癖でとてもほっこりする。
読んでて無駄なハラハラ感やドキドキ感はなくお茶漬けを食べるようなサラサラ感。でも所々で大事なことを言ってくるので、そのギャップが刺さります。
例えば、会社を辞めて引きこもった知人の息子に主人公のひとりが「インドに行きましょう」という提案をする話が個人的には刺さりました。
「インドには働かないで昼間からブラブラしてるおっさんが沢山いる。あれを見ると楽になりますよ」
なんだか、会社を辞めると日の光の下に出るのも恥ずかしいような、今の日本の窮屈な現状について一石を投じているような感じがしました。
確かに自分に合った仕事をみつけて毎日を充実して過ごせるのが良いのは分かってます(12連休の第1話がこれにあたりますね)。でも、働いていなくたって引け目を感じる必要なんかないし、何をしていても自分というものの気高さを持って生きていくことが一番重要なのではないだろうかと言っているような気がします(あくまで個人の感想です)。
そんな小さな宝石が詰まった宝箱のようなマンガです。
ご興味があれば読んでみてください。
仕事なんか生きがいにするな~『シャカイジン トシテノ ギムカンという名のブタ野郎!!』~
仕事なんか生きがいにするな~生きる意味を再び考える~
泉谷閑示 幻冬舎新書
を読んだけど、タイトルの勢いとは裏腹に色々な面から考えさせられる一冊でした。
別に新しく発売された本ではないけど思うところあって雑記とします。
ブログのサブタイトルはオリジナルですブタ野郎
(ブタ野郎が最近のマイブームです 下品ですいません)
個人的には
仕事だけが生きがいでないのなら良い
のではないかと思います。
仕事自体は他人と繋がる道具の1つとして非常に使い勝手が良い。
とりあえず仕事してればとやかく言われないし、しかもお金まで貰えるから。
でも、仕事なくしたら生きてる甲斐がなくなってしまうというのでは、少しツマらないような気がしますね。
こんなに綺麗な世界が僕らの目の前には広がっているのに、生きがいをなくしたと勘違いして視野が狭くなって見えなくなるのは阿呆でしょ?
(この写真が撮れた時は感動しました 光の具合も全て偶然 阿呆みたいに高いカメラ買った甲斐があったってもんですよ 同じ阿呆でも見えるもんが違ってきますから Goodな阿呆になれるよう心掛けましょう)
仕事が原因で自殺するとか本末転倒というかなんというか…
昔は就職して仕事してればある程度会社?社会?みたいなものが幸せを保証してくれた(という幻想を抱きやすい背景にあった)けど、その信用度みたいなものは現代では大きく下落しているでしょう それでも縋って自殺するくらいなら投げ捨てなよ。
『諦めたら終わりです』って諦めないのが美徳だと思われてるけど、
諦めて仕事をそこで終わりにすれば死なんで済むからね?
『諦めてあえて終わらせてしまう』
という考え方で良いと思うよ僕は
きっと結婚や就職、出世をしなくても個人の幸福度には大きく影響しない時代に既になってるんでしょ?
決してすべての人が等しく不幸になるというのではなく、結局のところ
それぞれに幸せな部分と不満を抱く部分があって現実の差し引きはトータルでどの人も同じなんじゃないの?
お金いっぱい稼げてるけど時間がない⇔仕事がなくてお金がないので不安
結婚したけど自分の時間がない⇔一人暮らしで気楽だけど寂しい
みたいな感じ?
後はその人がその現実をどう受け止めるか、観察するかだけなんでしょ?
そしたら、ないものを見ても仕方ないからあるものを見て良さを見つけていくのが適当に生きるコツなのかな?と思った次第です。
暑苦しいポジティブシンキングでもなく、不足を見過ぎるネガティブシンキングでもなく、そのままで取りあえずはこれまでどうにかなってきてるんだから、今のところは楽しんで生きていったら良いじゃない。
仕事が嫌になったら休んでブラブラしたって良いよ。
有休余ってんだもん。そういう時のために有休あんだから。
なくたって疲れたら休んでいいと思うんだよね。
社会人としての義務感?
何に義務を感じないといけないのかサッパリです。
みんなは『シャカイジン トシテノ ギムカン』に縛られてるから そう言ってあなたを同じように縛りたいだけなんですよ きっと。
上司が気にくわないブタ野郎なら
きちんと「ブタ野郎!!」って言ってあげてください。
きっとブタ野郎という言葉はその上司のために生まれてきていますので。
人生なんて落ちる水滴が如く一瞬のもの
落ちる場所も最後に行きつくところも決まってるんだから、
安心して流れに身を任せるだけと思う、今日この頃
それでも煩悩は未だ払えず、俗人のまま
仕事に行きたくね~なという文句とともに明日も行く場所があるという安心感を抱きつつブログを綴っているのでした。
では、また!!
私が写真を撮る理由
なんとなく今日散歩しているときに、私自身はなんで写真を撮るようになったのだろう?と疑問が湧いてきました。撮り始めて1年くらい経ったのと、新年を迎えたことですし、歩きながら考えたことを取り留めもなく書いていこうと思います。
1.季節の移り変わりを知るために
普段生活をしていると日々に忙殺されてしまい、気温でしか季節を考えなくなっていました。
そんな時に仕事の現場記録でしか使っていなかったカメラ(当時はPENTAXコンデジで相当古い型)を持ち出して花や風景を撮っていると今まで気にしなかった季節の変化を知ることができました。
梅の咲き始めは1月だったことを知った
冬に赤いカーテンが現れる
夏と秋の間には急きょキノコが生えまくる
2.ニンゲン以外の生き物を知るために
毎日毎日、前を向いても後ろを振り返っても、明日も昨日もニンゲン×ニンゲン。
世界が狭すぎて息が詰まって、生きてく上ではツマらないことだと気づきました。
私が生きる身近な世界にもこんなに妙チキリンな生き物が溢れているのに。
なにも知らないで終わっていくのは惜しい気がしたのです。
森で出会った小さなカエル
こちらを見上げるネコハエトリグモ
華奢だが石のような模様のクモ
エロい目つきのアカハネナガウンカ
3. 知覚出来る世界を広げる為に
私たちが見ている世界は可視光で見える世界、認識できるサイズにも限界があります。
そんな中、カメラのマクロ撮影や顕微鏡写真であればサイズの壁は超えられます。
普段見ているようで見えていない世界がそこにはあります。
思い返すと小さい頃に進研ゼ〇の特典でおもちゃの顕微鏡をもらってからこの世界にはまった気がします。
研究もズーっと顕微鏡を使って対象の生物を観察・計数してデータ取りしてました。
体長約1 mmのザラタマゴダニの体表(凸凹状の構造が確認できる)
体長約0.5 mmのワセンチュウ(いくつものリング状の構造が体表に確認できる)
まとめ
『写真が趣味』というとカメラとかの機材が好きなような響きですが、
私の場合は『生き物の観察』がメインだったということに気が付きました。
観察を通して季節ごとの生物を見たり、変な生き物に出逢ったり、珍奇な構造に息を呑んだりするのが好きなようです。
これからも面白いものに出逢えるように歩き回って写真を撮っていきたいと思います。
ミラーレス一眼買いました
すごい久しぶり(約4ヶ月ぶり)の更新。
あけましておめでとうございます。
ボーナスを使うか迷いながら取りあえずダンベル(10 kg)を購入したんだけど、ただ腕がムキムキになっただけで煩悩は払えませんでした。そしてタイトルに至る。
オリンパスのミラーレス一眼OM-D E-M1(中古)を買いました。
ちなみにMK-Ⅱではありません。貧乏人ですいません。
本体+レンズもろもろ含めて15万くらい
MK-Ⅱ買おうとすると本体だけで20万超えるのでとりあえず中古のEM-1を使ってみようと思い購入。
届いて開封、組み立てて真っ先に思ったのは、
ストラップダサすぎん?
カメラ自体はカッコいいのに、
ストラップの色合いとデカデカ書かれたロゴのセンス!
何も書かないで黒一色で良いから!
使ってみた感想
良い! 以上!!
やっぱり画質は良いです。
はっきりいって使いこなせてない感じがまんまん。これから頑張ります。
なんというか設定の工夫やレンズ次第で写真に差が出やすいのが一眼なんだなーという感想。マクロから風景までいずれも高画質なのはとても買ってよかったと思った。
外に出て写真を撮るのが楽しくなります。マクロ撮影を極めたい。
今まで使っていたTG-5は改めてやっぱりすごい機体でした。
重量的には軽く、レンズ交換なしで被写体のレンジも広い。
画質では一歩劣りますが、お手軽かつ強力なマクロ撮影と深度合成はやっぱり好き。
ただ、工夫の仕方に幅がないので遊ぶなら一眼かなーという感想。
これからは使い分けて満喫したいと思います。
でわでわ、今年もよろしくお願いします。