ボクはカラっぽだったんだ
蒸し暑い夜、食事を終えてやることもなかったので本でも買いに行こうと古本屋へ向かった。
夜なのに茹だる暑さ。空気の粘度が高すぎる。
店についた
\いらっしゃいませこんばんわー/
\いらっしゃいませこんばんわー/
\いらっしゃいませこんばんわー/
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『ブックオフか!』
ブックオフだった
ついつい、サンドイッ〇マンのネタを見た後ということもあり心の中でツッコんでしまう。
目的なく本を選ぶとき、出来る限り無作為に、あまり自分の好みを反映しないように選ぼうと最初は思う。結局は失敗するのだけど、新しい境地に至るためにそんな心がけをしています。
なんとなくこの感覚は文章を書くときにも当てはまるのだけど、結局はサンドイッ〇マンのネタを入れて多少の笑い要素を入れようと試みるあたり、やはり失敗するのが常のようです。
アジカンを聞きながら、何を読んでみようかとウロついて、星新一のショートでも読もうかと100円コーナーに行くも売り切れ 名前の短冊だけが売れ残っていた
結局、村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』と江國香織の『ホテルカクタス』を手に取った。別に予備知識があっての買い物でなく、タイトル買いというやつだった。
家に帰って『神の子ども~』を読み始めた。
冒頭で衝撃というか、何とも言えない気づきのようなことがあったその一文を少し変えて書きたい。
問題はあなたの中に私に与えるべきものが何ひとつないことです
僕の社会的価値がZEROという意味合いで衝撃を受けたのではないのです。
会社の中ではそこそこ働き者ですし、役職もあります。
でも、そういうことではないのです。
経済活動以外の私という中に他人に与えられる何かがないことに気づかされたのです。
現代社会での多くの人が抱える空虚感の意味を少し理解したような気がします。
ある状況下でのみ私というものに意味があって、その状況で無くなれば私も無価値になってしまう。与えられるものはなくなってしまう。
なんとなく、漠然とした空虚感。絶対の価値がないことへの不安とでも申しましょうか。
ただ、カラっぽと気づいたときに空虚感や不安感だけが訪れたのではありません。これもまた言いようがないのですが、私は自由だという開放感のような、晴れやかな気持ちが去来したのです。
会社での仕事は充実しています、社会的な義務も果たして順調にいっています。
でも何かが充たされていないような、どこかで致命的な失敗をしているような。
気づかないエラーが出続けているのが分かるのだけど、修正のしようがないようなそんな感覚が拭えたのです。
ボクは何者かになったようで実はカラっぽだったのです。
『私とはこういう人間です』という現実に縛られている錯覚から抜け出せた気がします
ガワはおっさんですが、中身がカラっぽ、まだまだ人生道半ば、何か皆さんにお伝えできるような、役に立つような、感動させられるような、そんな何かを自分の中身として蓄えていければ良いなと思った次第です
感覚的な内容ですいませんが、今日の夜の出来事を急に書き留めたくなった次第です
またそのうち更新します