仕事なんか生きがいにするな~『シャカイジン トシテノ ギムカンという名のブタ野郎!!』~
仕事なんか生きがいにするな~生きる意味を再び考える~
泉谷閑示 幻冬舎新書
を読んだけど、タイトルの勢いとは裏腹に色々な面から考えさせられる一冊でした。
別に新しく発売された本ではないけど思うところあって雑記とします。
ブログのサブタイトルはオリジナルですブタ野郎
(ブタ野郎が最近のマイブームです 下品ですいません)
個人的には
仕事だけが生きがいでないのなら良い
のではないかと思います。
仕事自体は他人と繋がる道具の1つとして非常に使い勝手が良い。
とりあえず仕事してればとやかく言われないし、しかもお金まで貰えるから。
でも、仕事なくしたら生きてる甲斐がなくなってしまうというのでは、少しツマらないような気がしますね。
こんなに綺麗な世界が僕らの目の前には広がっているのに、生きがいをなくしたと勘違いして視野が狭くなって見えなくなるのは阿呆でしょ?
(この写真が撮れた時は感動しました 光の具合も全て偶然 阿呆みたいに高いカメラ買った甲斐があったってもんですよ 同じ阿呆でも見えるもんが違ってきますから Goodな阿呆になれるよう心掛けましょう)
仕事が原因で自殺するとか本末転倒というかなんというか…
昔は就職して仕事してればある程度会社?社会?みたいなものが幸せを保証してくれた(という幻想を抱きやすい背景にあった)けど、その信用度みたいなものは現代では大きく下落しているでしょう それでも縋って自殺するくらいなら投げ捨てなよ。
『諦めたら終わりです』って諦めないのが美徳だと思われてるけど、
諦めて仕事をそこで終わりにすれば死なんで済むからね?
『諦めてあえて終わらせてしまう』
という考え方で良いと思うよ僕は
きっと結婚や就職、出世をしなくても個人の幸福度には大きく影響しない時代に既になってるんでしょ?
決してすべての人が等しく不幸になるというのではなく、結局のところ
それぞれに幸せな部分と不満を抱く部分があって現実の差し引きはトータルでどの人も同じなんじゃないの?
お金いっぱい稼げてるけど時間がない⇔仕事がなくてお金がないので不安
結婚したけど自分の時間がない⇔一人暮らしで気楽だけど寂しい
みたいな感じ?
後はその人がその現実をどう受け止めるか、観察するかだけなんでしょ?
そしたら、ないものを見ても仕方ないからあるものを見て良さを見つけていくのが適当に生きるコツなのかな?と思った次第です。
暑苦しいポジティブシンキングでもなく、不足を見過ぎるネガティブシンキングでもなく、そのままで取りあえずはこれまでどうにかなってきてるんだから、今のところは楽しんで生きていったら良いじゃない。
仕事が嫌になったら休んでブラブラしたって良いよ。
有休余ってんだもん。そういう時のために有休あんだから。
なくたって疲れたら休んでいいと思うんだよね。
社会人としての義務感?
何に義務を感じないといけないのかサッパリです。
みんなは『シャカイジン トシテノ ギムカン』に縛られてるから そう言ってあなたを同じように縛りたいだけなんですよ きっと。
上司が気にくわないブタ野郎なら
きちんと「ブタ野郎!!」って言ってあげてください。
きっとブタ野郎という言葉はその上司のために生まれてきていますので。
人生なんて落ちる水滴が如く一瞬のもの
落ちる場所も最後に行きつくところも決まってるんだから、
安心して流れに身を任せるだけと思う、今日この頃
それでも煩悩は未だ払えず、俗人のまま
仕事に行きたくね~なという文句とともに明日も行く場所があるという安心感を抱きつつブログを綴っているのでした。
では、また!!